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 ※写真は東武トレジャーガーデンのネモフィラです。
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2016年08月13日

一之宮貫前神社

[貫前神社] ブログ村キーワード

富岡市一ノ宮町にある神社。
「いちのみや・ぬきさきじんじゃ」と読みます。
どうでもいいですが、神社名は「一之宮」で、町名は「一ノ宮」なんですね。紛らわしい(笑)

貫前神社楼門.JPG

こちらは一之宮の名が示す通り、古くから上野国一之宮として崇敬を集めていたのだとか。
その格式に相応しく、現在の本拝殿や楼門は壮麗な造りで国指定の重要文化財に指定されています。
ただし、意外と境内はそれほど広くなく、妙義神社榛名神社などに比べると周辺に土産物屋などもほとんど見られません。
まあ、向こうは登山客向けでもあるので単純比較はできませんが。

貫前神社拝殿.JPG

この神社のユニークな点は、本殿が楼門から石段を下った先にあることでしょう。
普通の神社は本殿が多少なりとも高い所にあるものですが、こちらは地形の都合か入口より低い場所にあります。

貫前神社.JPG

良い意味で一之宮としての仰々しさはほとんど感じられない、親しみやすい神社です。
群馬県の神社巡りをしている人は必ず訪れるべき場所だと思います。


【訪問時期】8月(平日)・朝
【混雑具合】少なめ

ラベル:富岡市 西毛
posted by 知金 at 20:59| Comment(0) | 神社仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月09日

妙義神社

[妙義神社] ブログ村キーワード

富岡市妙義町にある神社。
上毛三山のひとつである妙義山の麓にあり、とても荘厳な雰囲気に満ちています。

妙義神社総門.JPG

古くから山岳信仰の場として栄えたこともあり、社殿や門はどれも立派で重厚な造り。
多くが国や県の重要文化財になっているそうです。
同じ権現造りのせいか、全体的に日光東照宮と雰囲気がよく似ていますね。

妙義神社拝殿.JPG

森の狭間に境内がある感じで、境内は自然豊かで清涼な空気に包まれています。
ただ本・拝殿は長い石段の上にあるので、参拝するだけでも結構な運動になるでしょう。
しかし安心してください。
急な階段が苦手な方でも、迂回路で緩やかな階段が用意されています。

妙義神社境内.JPG

ただ、こちらの境内からではあまり山並みの景色は堪能できませんでした。
私は妙義山の頂が間近に迫る絶景を期待してきたのですが、山が近すぎるせいかよく見れなかったんですよね。
あくまでここは、山のただ中にいてその空気を味わう場所と思ったほうがいいでしょう。

妙義神社唐門.JPG

とにかく彫刻や建築、自然や空気感、見どころは枚挙に暇がありません。
ここは紛れもなく群馬を代表する神社のひとつだと思います。


【訪問時期】8月(平日)・朝
【混雑具合】閑散

ラベル:西毛 富岡市
posted by 知金 at 09:48| Comment(0) | 神社仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月05日

ひまわり畑(富岡市丹生地区)

富岡市西部にある丹生湖(にゅうこ)。
この西に広がる田園地帯は夏になると、広大なひまわり畑となります。

富岡市ひまわり畑.JPG

ご覧のように、圧巻の美しさ。
妙義山の頂を借景に、辺り一面が鮮やかな黄色の絨毯で敷き詰められたようです。
その数はなんと11万株にも及び、県内にあるひまわり畑でも最大クラスの規模を誇ります。

富岡市ひまわり畑.JPG

一般の畑を利用しているため道が狭かったり、あまり観光地として整備されているわけじゃありません。
しかし、簡易的な展望台が遊歩道の中央辺りに設置してあり、そこからひまわり畑全体を見回すことが出来ます。
これほどひまわりが咲き乱れる光景は、他ではなかなか拝むことはできませんよ。

富岡市ひまわり畑.JPG

駐車場は丹生湖の西側に2か所と、ひまわり畑すぐ側にもわずかにありました。
入場料等はかからないようですが、展望台の脇に寄付金入れがあったので気持ちで幾らか入れるとよいでしょう。


【訪問時期】8月1日(平日)・朝
【混雑具合】閑散

ラベル:富岡市 西毛
posted by 知金 at 10:38| Comment(0) | イベント・風物詩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月02日

【コラム】御朱印は重要ではない

このブログでもたびたび紹介している御朱印
今回はこの御朱印についての、自分なりの考え方を記したいと思います。
御朱印についてご存知ない方は、過去記事を参照してください。

まず大前提として、私は今でも御朱印を収集しております。
その是非を論じるつもりはないし、決して誰かを批判したり否定するつもりは毛頭ありません。
また、私は神社の御朱印しか集めていないので、これから書くことは神社の御朱印に限定した話です。
それらを踏まえた上での、私なりの一解釈としてご理解ください。


さて、本題に入りましょう。
まず、御朱印を集める意味について。
私は旅行する度になるべくその地方の御朱印を集めるようにしていました。

でも、御朱印はスタンプラリーや記念品と違い、ある種の神聖なものとされています。
本当でしょうか?

私は御朱印を頂くたびにいつも気になっていたのですが、御朱印を書いてくれる人って、宮司ではないケースが結構多いんですよね。
例えば若いバイトの巫女さんだったり、宮司の親族と思われる女性、あるいはスタンプを自分で押せと言う場所もありました。
これに、いったいどういう経緯で御神徳が宿るというのでしょう?

これは私なりの解釈なんですが、恐らく御朱印自体にはなんの霊的威厳も御利益も無いのだと思います。
そもそも御朱印の始まりはお寺にお経を納めた際、その証書として書かれたものです。
それが神仏習合の日本において、当然の如く神社に伝播し、納経せずとも頂けるようになった。
でも、それでは御朱印の意味がありませんよね?

昔話や説話でも、御札や御守で御利益を得られたというエピソードはたくさんあります。
ところが、御朱印によって救われたなんて話は聞いたことがない。
本来の意味合いが異なる時点で、その役割は絶対的に違うということでしょう。


要するに、御朱印それ自体が重要なのではないということだと思います。
現在多く見られる御朱印とは、神社仏閣を参拝した証。
つまり、神社仏閣を真摯な気持ちで参拝し、あるいは祈願をしたという事実が重要だということ。

それゆえ、御朱印を頂いたからといって追加で御利益が得られるわけではない。
それはあくまで自分の記念に過ぎませんから。
ただし、神社の社名と印が入っている以上、それを粗末に扱えば神の怒りに触れるというだけ。

御守などは通販で授与してもらえますが、御朱印は原則不可能なのはこういうところにあるのだと思います。
大袈裟に言うなら、御朱印は信仰の証に過ぎません。
参拝したからこその御朱印であり、御朱印の価値は本人が参拝したという行為にあるのです。


少し前まで私は全国の御朱印収集を楽しんで続けていましたが、最近ではその熱もだいぶ冷めました。
前回の奈良旅行では御朱印帳を持っていくことすらしませんでしたからね。
やはり御朱印は、本来は素晴らしい神社を訪れた記念として頂くべきもの。
御朱印を頂くために神社を探すということは、今後することはないでしょう。
posted by 知金 at 01:55| Comment(0) | 【コラム】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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